コンビニから歩いて帰る道すがら。スズカケノキの枯れ葉が一枚、からからと地面を舞っていた。同じところをくるくると回っていた。ひとときの間眺めていると、こちらの視線に気づいたかのように、突然ふっと向きを変えて向こうへ飛んでいった。散々街に出て写真を撮っているけれど、こういう瞬間は写せないよなと改めて思う。

夕暮れ。自宅の窓から外を見ると、日の沈む位置が変わっていた。少し前まで向かいのマンションの右肩に落ちていたのに、今は頭から落ちてゆく。夏が去ってその位置の変化に気づいた時の、なんともいえない寂しい感じ。これもまず写真に写らない。定点観測で同じ構図の写真を並べてみても、はいそうですかという感じがするし。写真のうまい人なら撮れるのかもしれないけれど、いやむしろ、それをどう撮るかを考えるのが写真家の勤めといえるけど、まぁ写らないものは仕方ない。

あと、単純にカメラを構えるのが間に合わなかった瞬間もたくさんある。「あっ」と思う瞬間は、例えばエスカレーターに乗っていたり、点滅した信号を見ながら渡る横断歩道の上だったり、後戻りできない状況でおとずれ過ぎ去っていく。写真に撮られなかった瞬間のほうが強く印象に残っている。そういった残像が積み重なって、頭の中では名作写真集として残されている。

なんのことはない。写真に撮れた瞬間というのは、脳が横着をして忘れてしまうだけかもしれない。撮られなかった瞬間こそ、くよくよと後悔まじりに思い出すわけで。

写真への、ある種の情熱を燃やした時期は過ぎた。写せると思っていたものが、ほとんど写らないことに気づいて、ここまでかなぁと線引きをする。もちろん写真が嫌になったとかでは全然ないのだけど、ふいに誰かの情熱とか向上心みたいなものに接すると羨ましく思ったり、ともすれば胸焼けするようになってきた。

こうやってダラダラと書き連ねる文章も同じようなもので、書きたいことが書けているのかよくわからない。ただ、撮るのも書くのも好きなので、淡泊で冷ややかな「好き」のかたちがあっても良いではないかと、自分を納得させるようにしている。